・電気記念日
日本電気協会が1927(昭和2)年9月に制定。1878(明治11)年、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯されました。日本で初めて灯った電灯だった。
島崎 藤村(シマザキ トウソン)
木曾が生んだ浪漫派詩人(日本ペンクラブ初代会長)
1872年3月25日、筑摩県第八大区五小区馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に生れた。父は正樹、母は縫。四男であった。生家は代々、本陣や庄屋、問屋をつとめる地方名家で、祖は三浦半島の津久井の出。父の正樹は17代当主で国学者だった。
1878年、神坂学校に入り、父から『孝経』や『論語』を学ぶ。
1881年に上京、泰明小学校に通い、卒業後は、寄宿していた吉村忠道の伯父である武尾用拙に、『詩経』などを学んだ。さらに三田英学校(錦城中学校の前身)から尋常中学共立学校(現・開成高校)を経て明治学院普通部本科(現・明治学院大学)入学。在学中は馬場孤蝶、戸川秋骨と交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教の洗礼を受ける。
学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉や西行などの古典書物も読み漁った。明治学院大学第一期卒業生で、校歌も作詞している。この間1886年に父正樹が郷里にて牢死。正樹は『夜明け前』の主人公青山半蔵のモデルで、藤村に与えた文学的影響は多大であった。
1908年『春』を発表、1910年には「家」を『読売新聞』に連載(翌年『中央公論』に続編が連載される)。
この頃の作品には『幼きものに』『ふるさと』『幸福』などの童話もある。1927年、「嵐」を発表。翌年より父正樹をモデルとした歴史小説『夜明け前』の執筆準備を始め、1929年4月から1935年7月まで『中央公論』にて連載された。この終了を期に著作を整理、編集し、『藤村文庫』にまとめられた。また日本ペンクラブの設立にも応じ、初代会長を務めた。1940年に帝国芸術院会員、1942年に日本文学報国会名誉会員。
米英との戦争が迫る中、1941年(昭和16年)1月8日に当時の陸軍大臣・東条英機が示達した『戦陣訓』の文案作成にも参画した。戦陣訓の項参照。1943年、「東方の門」の連載を始めたが、同年8月22日、脳溢血のため大磯の自宅で死去した。最期の言葉は「涼しい風だね」であった。
- 1655年 - オランダの天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが土星の衛星タイタンを発見。
- 1802年 - アミアンの和約(英仏の講和条約)が結ばれる。
- 1943年 - 黒澤明監督の初監督作品『姿三四郎』封切り。
- 1989年 - みなとみらい21地区で横浜博覧会 (YES'89) 開催。10月1日まで。
- 1991年 - 桃花台新交通桃花台線(ピーチライナー)が開業。
- 1992年 - ハウステンボスが開園。
- 1993年 - NECホームエレクトロニクスがPCエンジンDuo-Rを発売。
- 1993年 - 長野自動車道が全線開通。
- 2005年 - 2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛称=愛・地球博)開催。
- 1872年 - 島崎 藤村 (シマザキ トウソン)-小説家。(+ 1972年)
- 1881年 - バルトーク・ベーラ (Bartok Bela Viktor)-作曲家。(+ 1945年)
- 1947年 - エルトン・ジョン ()-シンガーソングライター
- 1948年 - 橋本 治 (ハシモト オサム)-小説家
- 940年 - 平 将門 (タイラノ マサカド)-武将、新皇
- 1801年 - ノヴァーリス ()-小説家(* 1772年)
- 1908年 - 岩崎 弥之助 (イワサキ ヤノスケ)-三菱財閥2代目総帥(* 1851年)
- 1911年 - 青木 繁 (アオキ シゲル)-画家。『海の幸』の作者。(* 1882年)
- 1918年 - クロード・ドビュッシー (Claude Achille Debussy)-音楽家、作曲家。(* 1862年)
- 1962年 - オーギュスト・ピカール (Auguste Piccard)-物理学者。(* 1884年)
- 1979年 - 安藝ノ海 節男 (アキノウミ セツオ)-大相撲第37代横綱。(* 1914年)
- 1980年 - ロラン・バルト (Roland Barthes)-フランスの記号学者、思想家。(* 1915年)
- 1980年 - ミルトン・エリクソン (Milton H〔yland〕 Erickson)-精神科医、心理学者。(* 1901年)
- つる性植物
- 花言葉:美しさ