今日は何の日? -2018年01月14日-|フィデリ・今日は何の日?

今日は何の日?2018年01月14日

ビジネスの出来事を中心に地球創世以来の出来事を紹介いたします

ビジネスイベント

2018年01月14日のビジネスイベントを紹介します

データがありません

▲ページトップに戻る

今日は何の日?

・十四日年越し

1月15日の小正月の前日にあたるため、この日は年越しの日とされていた。今では小正月の習慣があまり行われていないため、十四日年越しの習慣もすたれてしまっている。

・タロとジロの日

南極の昭和基地に置き去りにされたカラフト犬の「タロ」、「ジロ」の生存が1959年(昭和34年)のこの日確認された。「愛と希望と勇気の日」ともよばれる。



今日の人物

細川 護熙(ホソカワ モリヒロ)

「55年体制」を崩壊させ、歴史を変えた男

関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国武将細川忠興の子・熊本藩主細川忠利から数えて15代目の侯爵細川護貞と、首相経験者近衛文麿の娘である妻・温子の長男として東京都千代田区に生まれる(本籍地は熊本県熊本市)。栄光学園中学校、学習院高等科を経て上智大学法学部卒業後、朝日新聞に入社。鹿児島支局を経て社会部記者となり、金嬉老事件などを取材した。

その後、朝日新聞社を退職し衆議院議員総選挙に出馬、落選するも、1971年の参議院議員選挙で全国区から石原慎太郎などの支援を得て当選するが、石原とは袂を分かち田中角栄率いる七日会に所属したため、 2期目は熊本県選挙区から出馬し当選した。大蔵政務次官などを歴任した後、熊本県知事選挙に出馬、1983年に当選し2期8年勤める。この間、「日本一づくり運動」「くまもとアートポリス」などを推進。

3期目の知事選も当選確実と誰もが考えていたが、「権不十年」(同じ者が権力の座に10年以上あるべきではない)を唱え2期8年で知事を辞めた後、1991年2月に活動の本拠を東京に移して、臨時行政改革推進審議会豊かなくらし部会部会長を務めた。

1992年、文芸春秋で「自由社会連合」結党宣言を発表。公募で党名を「日本新党」とし、新党ブームのさきがけとなる。同年、参議院選挙に比例区から立候補し、自らを含めてミニ政党としては過去最高の4議席を獲得。その後も地方選挙で公認・推薦候補が当選していった。中央政界で政治改革をめぐり、波乱が巻き起こる中、1993年、総選挙の前哨戦と位置付けられた東京都議会議員選挙で大躍進する。

政治改革に行き詰まった宮沢内閣に対する不信任案の可決を受けた衆議院の解散による第40回衆院選で日本新党が躍進し、細川も熊本1区で全国第2位の票数を獲得して当選。この選挙で野党第一党の社会党は大敗し、与党で第一党の自由民主党も過半数に達していなかったため、日本新党と新党さきがけがキャスティングボートを握る。このとき新生党代表幹事小沢一郎の工作により、非自民連立政権の首班となることを細川は受諾した。

1993年8月5日、日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社民連、民改連の8つの政党・会派が連立を組み、政治改革を最大の使命とする細川を首班とする連立政権(細川内閣)が誕生した。ここに1955年から38年間続いた、自民党単独支配によるいわゆる55年体制は崩壊した。細川内閣は、8頭立ての馬車と揶揄されることもあった。細川は公選知事経験者としては初の総理大臣となった。細川は、自民党総裁河野洋平との間で妥協し、中選挙区制に代わる国政選挙制度として、小選挙区比例代表並立制に基づく新たな選挙制度を実現した。また、1993年の冷夏によって起こった米不足で、日本のコメ市場の部分開放を受諾した。

しかし連立政権内での話し合いが円滑に行かなかったこと、細川自身の金銭スキャンダルが野党・自民党に追求されるにいたり、1994年4月25日に電撃的に総辞職。28日には、細川内閣で副総理であった羽田孜を首班とする羽田内閣が発足。細川政権は1年に満たない短命政権であった。

8月15日の戦没者追悼式典で初めて「日本のアジアに対する加害責任」を表明する文言を挿入した辞を述べた首相でもある。これは細川の生来の信念から来るものではなく、当時勃興した「慰安婦」問題などマスコミ界を賑わせたジャーナリズム的戦争責任論の影響を受けたものという見方もあった。

皮肉にも政治改革の実現は、非自民連立政権の結束を弱めることになり、小沢一郎、大蔵事務次官・斎藤次郎のラインに乗って発表した「国民福祉税」構想は、与党内でも批判を浴び取り下げざるを得なくなった。その後、自らの金銭スキャンダルが自民党によって取り上げられる中、政権を投げ出すような形で電撃的に辞職した。祖父・近衛文麿以来の出来事に「歴史は繰り返す」と皮肉られた。後に証人喚問を受けることとなる。

日本新党は、新生党・公明党・民社党などとの統一会派結成を経て1994年12月の新進党結党に参加。しかし、新進党は不協和音が大きくなり離党者が続出、細川も1997年6月18日に離党、12月には新党「フロム・ファイブ」を立ち上げ、新進党解党後の1998年に太陽党、国民の声との三党合併により民政党を結成した。その後も、民主党への合流のプロモーターとして活躍した。

民主党の結党を見届けた後の1998年5月7日、衆議院議員を辞職。1992年の国政復帰からこの間、参議院議員の任期にしてわずか1期分に満たなかった。

1998年還暦を機に政界を引退し、陶芸家として神奈川県足柄下郡湯河原町宮上に居(不東庵)を構えている。陶芸の師は辻村史朗。また、細川家の所蔵品を保管展示する財団法人永青文庫の理事長を務める。現在、唯一政治に関わる活動として、通信傍受法反対で有名になった参議院議員円より子が校長を務める「女性のための政治スクール」顧問を務める(名誉校長は妻の細川佳代子)。



プレスリリース

2018年01月14日のプレスリリースを紹介します

2018年01月14日のプレスリリースはございません。

▲ページトップに戻る

出来事

  • 1900年 - ジャコモ・プッチーニのオペラ「トスカ」がローマで初演。
  • 1959年 - 南極大陸で1年間置き去りにされたカラフト犬タロとジロの生存が確認される。
  • 1970年 - 第三次佐藤栄作内閣が成立。
  • 1978年 - ロックバンドセックス・ピストルズのメンバー、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。

▲ページトップに戻る

誕生日

  • 1797年 - ヴィルヘルム・ベーア (Wilhelm Wolff Beer)-天文学者。(+ 1850年)
  • 1800年 - ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル (Ludwig Ritter von Kochel)-ヘッケル番号を作ったドイツの作家。(+ 1877年)
  • 1901年 - アルフレト・タルスキ (Alfred Tarski)-数学者・論理学者。(+ 1983年)
  • 1904年 - セシル・ビートン (Sir Cecil Walter Hardy Beaton)-イギリスの写真家。(+ 1980年)
  • 1925年 - 三島 由紀夫 (ミシマ ユキオ)-日本の作家。
  • 1938年 - 細川 護熙 (ホソカワ モリヒロ)-第79代内閣総理大臣。
  • 1938年 - ジャック・ジョーンズ (Jack Jones)-歌手。

▲ページトップに戻る

忌日

  • 1867年 - ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル (Jean Auguste Dominique Ingres)-フランスの画家。(* 1780年)
  • 1898年 - ルイス・キャロル (Lewis Carroll)-イングランド北西部チェシャー州ダーズベリ出身の、イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。(* 1832年)
  • 1938年 - 野村 萬斎 (ノムラ マンサイ)-狂言和泉流野村万蔵家の名跡で、当代は二世。(* 1862年)
  • 1977年 - ロバート・アンソニー・イーデン (The Right Honourable Robert Anthony Eden)-イギリスの政治家。(* 1897年)
  • 1978年 - 花森 安治 (ハナモリ ヤスジ)-編集者、グラフィックデザイナー。(* 1911年)

▲ページトップに戻る

誕生花

  • シクラメン
  • 花言葉:内気

「細川 護熙(ホソカワ モリヒロ)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。
2018年01月14日15時(日本時間)現在での最新版を取得。

「01月14日」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。
2018年01月14日15時(日本時間)現在での最新版を取得。