今日は何の日? -2017年11月09日-|フィデリ・今日は何の日?

今日は何の日?2017年11月09日

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ビジネスイベント

2017年11月09日のビジネスイベントを紹介します

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今日は何の日?

・ベルリンの壁崩壊の日

1989年にドイツ・西ベルリンを囲んでいた「ベルリンの壁」が取り壊され東西ドイツが統一された。

・太陽暦採用記念日

1872年のこの日、太陰暦をやめて太陽暦を採用するという詔書が布告されたことによる。実施はこの年の12月からで12月3日を明治6年1月1日とした。

・119番の日

1987年に自治省消防庁が消防発足40年を記念して設けた日で、一般の人にもっと防火・防災の意識を高めてもらおうというのが狙い。11月9日にしたのは消防のダイヤルナンバー119にちなんで。



今日の人物

野口 英世(ノグチ ヒデヨ)

黄熱病研究に尽力した細菌学者

幼名は、清作。1歳の時に囲炉裏に落ち、左手を大火傷する。医師にかかることが出来なかったため、左手は癒着してしまった。その後、「手ん棒」というあだ名をつけられ、迫害を受ける。1889年、猪苗代高等小学校教頭、小林栄にその成績優秀さを認められ、猪苗代高等小学校に入学。1891年、同級生の募金により、洋航帰りの医師渡辺鼎の下、左手の大手術を受ける。

1893年、猪苗代高等小学校卒業後、上京。血脇守之助の庇護の下、東京の芝伊皿子坂上の高山歯科医学院(東京歯科大学)で雑用をしながら済生学舎(日本医科大学)で医学を学ぶ。

1896年、医学前期試験(筆記試験)を1位で、19歳という歴代最年少の若さで合格。同年の後期試験(臨床試験)で、大学教授も見つけられなかった病名を言い当て、わずか20歳で医師免許を取得(当時は“前期3年・後期7年”と言われた)。

高山歯科医学院で講師を務める。同年に、北里伝染病研究所に勤め始める。しかし、周りは東京帝国大学医学部出の集まりで、学歴を理由に冷遇を受ける。一方で、来日していたサイモン・フレクスナーの案内役を務めていた時、渡米の誘いを受ける。

1898年に坪内逍遥の小説「当世書生気質」を読み、自堕落な生活を送る主人公「野々口精作」と自分の名が極めて近いため自分と野々口を重ねてショックを受けて「英世」と改名。当時、坪内と直接の面識はないものの、人づてに間接的なつながりがあった。そのため、この作品のモデルこそ野口本人であった(その時点では野口本人はまさか本当に自分であるとは思わなかったらしい)。

1900年、活路を見出すため、フレクスナーを頼り、アメリカにわたる。ペンシルバニア大学で助手の職を得て、蛇毒の研究を始める。

1904年、ロックフェラー医学研究所に職を得る。1911年8月、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功と発表。一躍、世界の医学界に名前を轟かせることになった(但し、このスピロヘータの純粋培養は、その後、誰も追試に成功していないので疑いを持たれている。同年、京都帝国大学より医学博士の学位を授与される(東京大学医学部に対して思うところがあり、学位論文を京都大学に提出したといわれる)。1911年、妻となるメリーと結婚、1913年梅毒スピロヘータを進行性麻痺の患者の脳組織内から取り出し、この病気が梅毒の進行した形であることを証明する。これは、生理疾患と精神疾患の同質性を初めて示した画期的なものであった。さらに小児麻痺の病原体特定、狂犬病の病原体特定(但し、後年いずれも否定されている)などの輝かしい成果を立て続けに発表。

1914年、1915年のノーベル医学賞候補となった。1914年に東京大学より理学博士の学位を授与される。

1915年9月、日本に帰国。横浜港には、たくさんの人が出て、野口を出迎えた。世間では、野口フィーバーとも呼べる歓待で、日本各地の講演会にひっきりなしに呼ばれることになる。一方、日本の医学界は、野口を一つの講演会にも呼ばず、あからさまな冷遇をする。彼は日本を拒絶。以後、帰国することはなかった。

1918年、ロックフェラー財団の意向を受けて、まだワクチンのなかった黄熱病の病原菌発見のため、当時、黄熱病が大流行していたエクアドルへ派遣される。当時開通したばかりのパナマ運河周辺で、船員が黄熱病に感染する恐れがあったため、事態は急を要していた。エクアドルに到着後、9日後(日数については諸説あり)には、黄熱病と思われる病原体を特定することに成功(この病原体は、今日ではワイル病スピロヘータであったと考えられている)。この結果をもとに開発された野口ワクチンにより、南米での黄熱病が収束した。この成果により、野口はエクアドル軍の名誉大佐に任命されている。さらに、3度目のノーベル医学賞の候補に名前が挙がる。

1927年、イギリスの医学者で、西アフリカの黄熱病を研究していたストークスが、野口ワクチンはアフリカでの黄熱病に効果がないという論文を発表する。ストークス自身も黄熱病で死亡。野口はアフリカ行きを決断する。

1928年、アフリカガーナのアクラに研究施設を建築。アカゲザルを用いた病原体特定を開始する。しかしまもなく自身が黄熱病に感染、5月21日、アクラの病室で死亡。野口英世は「私には分からない」という言葉を口ずさみ、51年という短い生涯を閉じた。このアフリカでの黄熱病の原因は菌ではなく、ウイルスであった。ウイルスは当時まだ見ることができず、後に開発された電子顕微鏡で初めて見えるようになる。であるから、彼がワクチンを作れなかったのはいたしかたないであろう。

趣味は、浪花節、将棋、油絵であった。アメリカ合衆国シャンデイケンに野口の設計した別荘があり、ここで油絵の多くは描かれた

ロックフェラー大学の図書館入り口の左右には、ロックフェラー1世と、野口英世の胸像が対になって並んでいる。



プレスリリース

2017年11月09日のプレスリリースを紹介します

2017年11月09日のプレスリリースはございません。

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出来事

  • 1799年 - ナポレオンが総裁政府を倒す。ブリュメールのクーデタ 。
  • 1867年 - (慶応3年10月14日) - 大政奉還 。
  • 1888年 - 切り裂きジャックが売春婦のメアリー・ジェイン・ケリーを殺害。
  • 1918年 - ドイツ皇帝がオランダに亡命し、マクス首相が皇帝の退位を表明・社会民主党政権樹立(ドイツ革命) 。
  • 1923年 - ドイツのミュンヘンでナチスが起こしたミュンヘン一揆が鎮圧される(首謀者であるヒトラーは2日後に逮捕)。
  • 1935年 - アメリカ産業別労働組合会議(CIO)設立。
  • 1938年 - ドイツでユダヤ人の組織的迫害が始まる。「水晶の夜」(クリスタルナハト)。
  • 1945年 - 旧立憲政友会を中心に日本自由党を結成。
  • 1962年 - 承志・高碕達之助、「日中長期総合貿易に関する覚書」(LT貿易覚書)に調印。
  • 1963年 - 東海道線鶴見列車多重衝突事故(鶴見事故を参照)。

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誕生日

  • 1834年 - 近藤 勇 (コンドウ イサミ)-新選組局長。(+ 1868年)
  • 1841年 - エドワード7世 (Edward VII)-イギリス王。(+ 1910年)
  • 1876年 - 野口 英世 (ノグチ ヒデヨ)-日本の細菌学者。(+ 1928年)
  • 1913年 - ヘディ・ラマー (Hedy Lamarr)-オーストリアのウィーン出身の女優、発明家。(+ 2000年)
  • 1931年 - 白石 一郎 (シライシ イチロウ)-作家。(+ 2004年)
  • 1933年 - 横内 章次 (ヨコウチ ショウジ)-作曲家。
  • 1934年 - カール・セーガン (Carl Edward Sagan)-天文学者、作家 。(+ 1996年)

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忌日

  • 1873年 - スティーヴン・マロリー (Stephen Russell Mallory)-アメリカ連合国海軍長官。
  • 1930年 - 浅野 総一郎 (アサノ ソウイチロウ)-日本の実業家。(* 1848年)
  • 1937年 - ラムゼイ・マクドナルド (James Ramsay Macdonald)-イギリス首相。(* 1866年)
  • 1940年 - ネヴィル・チェンバレン (Arthur Neville Chamberlain)-第60代イギリス首相。(* 1869年)
  • 1970年 - シャルル・ド・ゴール (Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle)-フランスの陸軍軍人、政治家で元大統領。(* 1890年)
  • 2006年 - マルクス・ウォルフ (Markus Johannes "Mischa" Wolf)-ドイツ民主共和国国家保安省(シュタージ)対外諜報総局長。(* 1923年)

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誕生花

  • ミルラの花
  • 花言葉:真実

「野口 英世(ノグチ ヒデヨ)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。
2017年11月09日15時(日本時間)現在での最新版を取得。

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