今日は何の日? -2017年08月21日-|フィデリ・今日は何の日?

今日は何の日?2017年08月21日

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2017年08月21日のビジネスイベントを紹介します

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今日は何の日?

・献血記念日

1964年のこの日、それまでの売血制度と決別して献血の推進が閣議決定されたことを記念して制定。

・噴水の日

1877年のこの日、東京の上野公園に日本で初めての西洋式の噴水が設置された。



今日の人物

レフ・トロツキー(Lev Davidovich Trotskii)

ロシアの革命家

1879年に現在のウクライナ南部にあたるイワノフカで、ユダヤ系の富農の子として生まれた。学生時代の1896年に初めてマルクス主義に触れ、共産主義運動に入る。1898年には南ロシア労働者同盟の幹部として働いていたために2年の懲役刑を受けてオデッサで収監された。1900年からはシベリアへの流刑に処されるが、2年後に脱走した。トロツキーの姓は、この逃亡時に、以前オデッサで収監されていた当時の看守の名前が印象に残ったため、それを借用したものである。トロツキーはスイスを経てロンドンに亡命、レーニンらの「多数派」(ボリシェヴィキ)ではなく、「少数派」(メンシェヴィキ)に所属する。

1905年、メンシェヴィキからも早々に離脱したトロツキーは、血の日曜日事件以来政治変動の続くロシアに帰国して地下活動に入り、サンクトペテルブルク・ソビエトの指導者となった。10月にはロシア全土で起こったゼネストにも関与するが、12月に逮捕され、サンクトペテルブルク・ソビエトも壊滅した。トロツキーはシベリアへの終身刑を宣告されたが、流刑の護送中に脱走。ウィーンへと亡命して雑誌『プラウダ』を創刊し、永続革命論を提唱した。第一次世界大戦がはじまると、居をスイス、ついでフランスに移し、雑誌『ナーシェ・スローヴォ』に拠ってドイツ社会民主党、フランス社会党など戦争支持を決めた社会主義政党を批判する論陣を張る一方、1915年にはスイス社会党が主宰した「ツィンメルワルト会議」で反戦を訴えた。しかし翌年、フランスから追放され、スペイン経由でアメリカ合衆国のニューヨークへと移り、露語新聞『ノーヴィ・ミール』に参加している。

レーニンが人民委員会議議長(首相に相当)に就任したボリシェヴィキ・左派エスエル(社会革命党)連立政権のもとでは外務人民委員(外相に相当)に就任。ドイツとの講和交渉を担当し、ブレスト・リトフスク条約の締結に関わった。条約締結に際しては、ボリシェヴィキ党内では意見が分かれ、トロツキーは当初、ブハーリンら戦争継続派には反対しつつ、即時講和を主張するレーニンの立場も危険が大きいとし、「戦争もなく、講和もなく、ドイツ労働者の蜂起を待つ」との姿勢をとった。しかしドイツ政府が強硬姿勢を見せ、軍をロシア領内に侵攻させると、レーニンに賛成し、講和に踏み切った。

1918年2月に外務人民委員を辞任し、かわって軍事人民委員・革命軍事会議議長に就任。軍事的な組織と扇動に巧みで、大衆の人気も高かったといわれるトロツキーは赤軍の組織に着手し、内戦において赤軍の指揮者として反革命軍(白軍)の撃破や外国の干渉の排除に大きな功績をあげた。しかし、1922年のクロンシュタット軍港の水兵たちの革命的蜂起を武力弾圧し、またウクライナ地方最大の革命勢力だったネストル・マフノ率いる農民アナキズム運動を圧殺するなど、後のスターリンに似た横顔を見せる。

ロシア革命を現実に指導したのは、トロツキーとレーニンの2巨頭で、トロツキーは赤軍(赤衛軍)の創始者で、白軍(白衛軍)に対する内戦でこれを勝利に導いた立役者だった。

1924年のレーニンの死後、スターリンが後継者として台頭すると、トロツキーとスターリンの対立が明確化する。スターリンは政治的に策略に長けており、党内の地位を最大限に活用し、時にはジノヴィエフやカーメネフ、時には右派のブハーリンと組み、トロツキーの地盤を次第に蚕食した。スターリンは、トロツキーの世界革命論に反対し、一国社会主義論を唱えた。党の官僚たちには魅力的な提案である。トロツキーはイデオロギー上でも党の主流派と激しく対立。「左翼反対派」、ついで「合同反対派」を組織して抵抗するが、戦争と内戦に疲弊した大衆を味方につけたスターリンの前に敗北し、1925年、トロツキーは軍のコミッサール(人民委員)の地位を解任され、閑職に追いやられた。1927年には政府・党の全役職を解任された上、1928年に中央アジアのアルマ・アタ(現在のカザフスタンのアルマトイ)へと追放された。1929年にはソビエト連邦から国外追放される。トロツキーは国外からも反スターリン、世界革命の運動を続けようとした。まず、トルコが彼に亡命を認めた。イスタンブルからも近い、マルマラ海のプリンスィズ諸島(アダラル)での生活の後、1933年にはフランスへ、1935年にはノルウェーに移ったが翌1936年、ノルウェーはソ連の圧力で彼に国外退去を求めた。トロツキーはメキシコに居を定めた。この間、1938年には第四インターナショナルを結成し、コミンテルンに代わる国際社会主義運動の組織化に乗り出すが、スターリンはソ連国内で反対者の大粛清を進めており、ついには国外にいたトロツキーの身辺にもスターリンの送り込んだと思われる襲撃者が現れるようになっていた。

1940年の時点でスターリンの「暗殺リスト」には、まだ1人だけ大物が残っていた。それがトロツキーだった。これに先立つ数年間、スターリンは「古参ボルシェビキ」を大量粛清している。右派、左派、中道を問わず、自らの権力のライバルとみなした人間を裁判による死刑宣告で事毎に抹殺した。宿敵として残ったのはトロツキーのみだった。

1940年8月20日、トロツキーはラモン・メルカデルによってピッケルで後頭部を打ち抜かれ、翌日収容先の病院で死亡した。この暗殺が、スターリンの指示によるものということが情報公開により明らかになりつつある。



出来事

  • 1192年 - 源頼朝が征夷大将軍に就任。鎌倉幕府成立。
  • 1770年 - ジェームズ・クック、オーストラリア東部に対するイギリス領有権を正式に主張。
  • 1862年 - ウィーン市営公園、開園。
  • 1911年 - ルーヴル美術館から絵画「モナ・リザ」が盗まれる。
  • 1924年 - 天気図が初めて國民新聞に掲載される。

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誕生日

  • 1872年 - オーブリー・ビアズリー (Aubrey Vincent Beardsley)-画家。(+ 1898年)
  • 1894年 - クリスチャン・シャド (Christian Schad)-画家。(+ 1982年)
  • 1953年 - 関根 勤 (セキネ ツトム)-タレント、コメディアン、俳優。
  • 1965年 - 鈴木 祥子 (スズキ ショウコ)-シンガーソングライター。

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忌日

  • 1481年 - 朝倉 孝景 (アサクラ タカカゲ)-室町時代中期の武将。(* 1428年)
  • 1940年 - レフ・トロツキー (Lev Davidovich Trotskii)-ロシアの革命家。(* 1879年)
  • 1983年 - ベニグノ・アキノ (Benigno "Ninoy" Simeon Aquino Jr)-フィリピン上院議員。(* 1932年)

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誕生花

  • 松葉牡丹
  • 花言葉:無邪気・心の扉。

「レフ・トロツキー(Lev Davidovich Trotskii)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。
2017年08月21日15時(日本時間)現在での最新版を取得。

「08月21日」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。
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